オリンピックの意義と役割 注目すべきことが他にもある
リオ・オリンピックが盛り上がりを見せている中、注目すべき話題が今回は
たくさんあった。
開会式の「難民選手団」の入場。会場は、割れんばかりの拍手喝采で彼ら
を受け入れた。とても良い光景ではある。
南スーダンからやシリアからの難民が多く目立つ。長い内戦の中で多くの命
が犠牲となり多くの難民を排出した。
海を超え、他国に逃げ延びた・・逃げ延びられた運のいいひとたちの中には、
現在温かいスープと毛布を手にし、普通の生活をしている人もいる。
運が悪かった人たちの多くは、「民族紛争」のもと、虐殺され、悲惨な人生を
終えた人たちもたくさんいる。未だに難民キャンプで暮らす人も多い。
日本も自衛隊の派遣について早くから検討し、支援をしてきた。
注目すべき「笑えない写真」がある。
冗談なのか、本気なのか・・プロパガンダとも思える一枚の写真が示すもの。
インターネットに簡単に転がっている。いろいろな画像。
「スーダン 虐殺」と検索すると信じられない光景の画像を多く目にすることが
できる。おぞましい光景ばかりだ。子供の犠牲者が目立つ。
話を戻して、オリンピックの件。柔道男子の試合。イスラエル人 対 エジプト
人の試合なんだけど、まあ・・内容は、しっくりこなかった。最近の柔道の試
合はメダルを取るための「試合方法」「対策」みたいなものがあって「柔よく
剛を制す」といういわゆる「ニッポン柔道」のようなキレのある技の応酬など
はほとんどない。
この試合もそうだった。結果イスラエルが勝ったのだけど、後がイケナイ・・・
エジプト人選手が、挨拶や握手を拒んだのである。「政治色」丸出しだ。
悲しいというより情けなかった。エジプトは、イスラエルの存在を肯定してい
ない。長い歴史、宗教の問題などでそんな風潮・文化がまだまだ土着してい
る。しかし、それをオリンピックという舞台で表現しなければならないなんて・・
もし、エジプト人が、握手・抱擁・挨拶をしたならば、彼は、到着したエジプト
の空港でどんな目に合わさせられるかわからない。殺されるかもしれない。
そう考えると、彼のとった態度は、致し方なかったのかもしれない・・と思う。
しかし、そうさせてしまう「文化」が怖い。
オリンピックの持つ役割とは、「平和」を目指すというのが象徴的な意義であ
って政治色を出さないようにしてはいるが、現実には、見えないところで差別
や紛争は絶えず存在するのである。
それでも、選手達は、「金メダル」を取るため、血の滲む練習を泣きながら苦し
みながらやってきた。みな同じである。
目指すものと現実。遠く離れた場所で繰り返される虐殺。人間の持つこの二
面性の違いの大きさにあらためて驚くばかりだ。
きれいごとだけでは、済まされない現実。しかし、きれいごとがなければ止めら
れない現実。矛盾したこのふたつの存在そのものがシビリアンコントロールの
基本的・中心的な意義であり、経済や政治を生み出している。
終戦記念日を迎える我が国の文化は、果たして「平和」と言える状態になって
いるのだろうか??
オリンピックという平和の祭典を見ていると、残されている課題の大きさや解決
までの過酷な対応を想像すると、より根深く感じられる。
やはり思う・・我々に何が出来、何をすべきなのだろうか・・と。
我々は、非力である。
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