日当たり
こちらから「日」は見えても、「日当たり」は悪い。
ここを出ないと「明るく」はならない。
日が当たっている様に見えて、実は「日当たり」は
よくなかったりするのだ。
自ら「林」を出ないと、「日」の方から入ってきてはくれない。
こちらから「日」は見えても、「日当たり」は悪い。
ここを出ないと「明るく」はならない。
日が当たっている様に見えて、実は「日当たり」は
よくなかったりするのだ。
自ら「林」を出ないと、「日」の方から入ってきてはくれない。
少し以前にさかのぼる・・・
だんだんと毛がないことに慣れていった。病棟内であれば帽子はかぶらない。どうでもよくなった。検査なんかで病棟を出るときはかぶることにした。
退屈との闘いは続く。毎日、テレビとゲームばかりあとは借りたDVDや映画・・そのうちに飽きる。やることがなくなっていく。もともとあき症だし。副作用と退屈とでは、副作用の方がましかも。
それから、こんな状況下にあるとさまざまな人に励まされる。最初は、まあー悪くはなかったけど。そのうちに、うっとおしく感じるようになっていった。健常な人にとって私の気持ちはわからないだろう。特にきれいごと言う人はうっとおしいと思うようになっていた。もちろん悪意がないことは知っているけど・・あとナーバスになって俺の前で頭をかかえるひと・・泣くひと・・俺が泣きたい。みんな元気になろうよ( ̄▽ ̄)ノ_彡☆
時には輸血もする。血小板が下がることもあり(血を止めるやつね)さっそく輸血する。
輸血は、エイズや肝炎などのリスクがあるとの説明を受けた。まあ、何でもリスクはついて回るのだろう。同意書にサインした。サインするしか他に方法がない。血小板の輸血後は副作用はみうけられないようだ。
大きらいな目薬をさすと気持ちいい。結膜炎の可能性もある。抗がん剤のせいだ。
かゆみが収まったはずなのに体温が上がると痒くなる。これが一番つらい。
夜眠れないので毎日睡眠導入剤を飲んでいる。夜が一番嫌だ。嫌な夢をよく観る。嫌な夢を観て真夜中に目が覚めると長い夜がうっとおしいと感じる。
早い朝が好きになったのはあくまでも歳のせいだと思っている。きっと病気のせいではないだろう。夜明けが好きになった。夜明け・・今日も生きている。
準備開始 「末梢血幹細胞採取」を先行して行う。移植の為の準備となる。
造血管細胞移植に関することは、
http://www.niigata-cc.jp/Sikkan/Setumei/Ketueki_Isyoku.html
が詳しい。
24日の午前9時丁度には、処置室で専用台に繋がれた。2時間30分ぐらいと思っていた。両手を伸ばして半身起こして座った状態だ。左腕から「出」右手から「戻る」ほようになっている。後ろでは「遠心分離機」が動いている。頭痛がはげしくなってきた。だんだんと気がもうろうとする。痛みは最初なかったが固定していた左腕がだんだんと痛み出した。自分の中の体液が一度外に出てほとんどが戻ってくる仕組みだ。すごい技術だ。昔のイメージみたいに骨髄に針を数百回刺すようなことはしない。だまってじっと4時間半もの間座り続けてからベッドを降りて車椅子で病棟まで戻った。くたくた(+o+)
自分のを出して自分に戻すからたいしたことないと思っていたら体は、多少の拒絶反応を示す。だるくなり、熱が出た。ただの採取で治療ではないのに過去のどんな治療、投薬よりもきつかった。まるでインフルエンザにかかったような気分だ。(>_<)
何もする気がおきない。食欲もない。のどは渇く。
特にひどいのは真夜中だ。寝汗が出て、頭痛がして違う夢を何本も見て、目が覚めて又横になるを数十回繰り返したあげく、空腹なのに吐き気がしてくる。
これを乗り越えれば多少は、楽になると思い、ジッとがまんし続けた。(25・26日)
随分楽になってきた。もしかしてブログ観てくれている人が心配しているといけないので現状報告を兼ねて記事をあげています。
このような椅子というかベッドに数時間座ったまま、採取するのです。
メスや注射器は一切使わないのである。
現在は、食欲も少し出てきました。頭痛もなく、体温は、37.0度まで下がりました。白血球はしこたまありますよ3万を超えています。薬のせいです。その他も落ち着いてきました。そろそろまた、食べ物の夢を見始めるのです。あーやだあ(ーー;)
さまざまな薬のおかげで、よく知られる「白血球」の数が激減する。こいつが減るとバイキンと闘う能力が低下し、病気になりやすくなる。俗に免疫力が低下し感染症を引き起こしやすいなどという。要するによくないのである。昨日、白血球増加の為の皮下注射を打った。そしたらどうなるかというと、もともと白血球は、背骨を中心とした「骨」の中で生産される。増加促進する為の注射を打たれた私の体は、慌ててどんどん生産を始める。通常の何倍もの量の白血球を作り出す。骨の中がぎしぎしになる。体がついて行けないのである。背骨が痛み始めるのだ。これがけっこう辛い。劇的に白血球は増えてとても体には良いのであるが、やはり副作用は避けられないのが、「医薬品」の辛いところだ。
「グラン製剤フィルグラスチム」という薬である。副作用に耐えなければならない。ベッドの上でジッとひざを抱えて無心に耐えるのである。午後は、抗がん剤を投与始める。明日はいよいよ「幹細胞」を摘出することになるだろう。移植の準備が進められていく。当分の間記事を書き込めなくなるかもしれません。
追記 「栄養士」さんがまたきた。どうも勘違いしているみたい。「食べられない」原因は俺の病気や副作用のせいであって、病院食がまずいということに「気づいていない」みたい。要するにおれが悪いらしい。出す前に味見をしていない「栄養士」にそう言われた。
副作用とは随分と友達になった。付き合い方が分かれば機嫌の取り方も分かる。まあ、こんなことに慣れててもしかたないけど。副作用と仲良くしはじめると薬の効果がだんだんと薄れていく。次の手を打たないと。当然のことだが、医師に任せるしかない。こちらにはそれほどの知識がある訳ではないし。
実は、前回の病院食の話題の前日にここの病院の栄養士が病院食のヒヤリングというかアンケートというか3人も尋ねてきたので冷静に冷ややかに回答しておいた。要するに病院の食事はどうですか??と尋ねてきた。よくもまあ勇気があるなあ、と思った。これは同じ病棟の人から聞いた話だが、「あなた達栄養士の方は、患者に出す前に味見しているのですか?」と尋ねたそーな、それに対して「していない」と答えたそーだ(ーー;)びっくりした。ダメだこりゃ!味を知らないから、「どーですか」なんて聞けるんだ!!
今日もひどいものだった。贅沢と言われるかもしれない。でも、このままだと餓死する。「病院食が健康的過ぎて口に合わずに病気で逝く前に食べれなくて餓死しました!!」になりかねないのである。あー、又今日も愚痴ってしまった。病院食はもういいやー・・疲れた・・・
突然ですが、「テロメライシン」とう薬をご存知だろうか?多分知らないと思うけど・・。画期的な薬らしい。「毒をもって毒を制す」系の新薬らしい。ウィルスを利用したものらしく正常な細胞には働かないとのこと。まだ、日本では認可されていないの??かな??日進月歩、医学、科学は進化している。更なる薬の開発を期待するしかない!!
それでも、痩せていくのである。2週間で既に3Kg減った(+o+)
副作用と闘いながら、少しずつだが免疫力が上がり食欲が出てき始める。それまでの免疫力の低い食欲の無い時の「病院食」は、食べるのが「過酷」なのである。「体に良い」食事が出てくる。とても考えられたバランスのよい食事が何度も何度も出てくる。清潔で計算された患者の為の食事である。だけども「おいしくない」どうかしたら「まずい」し、ものによっては見ただけで「はきけ」がする。3度に2度は酢の物が必ず出る。みなさん一月90食のうち、60食も「酢の物」食べますかあ(--〆)?体に「良いもの」はとても良いことだと思うのですが、私たちのような治療を受けている患者には厳しいです。「体に悪いもの」とまで言いません!!!!是非「体に良くないもの」を常食の1/3出していただければ「幸せ」に食せると思います。患者の健康の事を考えた「まずい」病院食。患者の精神状態や治療内容、副作用を考慮した病院食では無いのである。
左のサラダはうさぎのエサかと思った。
回想録 副作用の続き
少々のことでは、辛いとは思わない。「便秘」「痒み」「はきけ」「しびれ」「不眠症」「頭痛」「関節の痛み」「目の痛み」などあげればきりがない。白血球は、限りなくゼロに近づく。血小板は輸血が必要になる。尿がにごる。腎臓を傷めないように利尿剤を投与し、吐き気止めとステロイド剤も投与する。目薬と白血球を増加させる薬も投与する。
カビが生えないようにする薬や便を柔らかくする薬も飲む。下剤に抗生剤。ありとあらゆる
ものを投与または、飲むことで副作用を鎮める。体重は3Kgほど減った。食欲が落ちるからだ。最も入院生活で楽しみの食事もろくにのどを通らない。
苦しい・・そんな時間が当分続く。誰に当たれるわけもなく、耐えるしか方法がないのである。
知らない人のための用語講座 (^o^)/今日は、平気で使っててけっこう知らない言葉いくつかあげて説明します。(一方的(~_~;))まずは、「ブログ」。もともとは、「Web log」です。「ウェブログ」がなまってか縮まってか「ブログ」になった感じ。「ウェブ」とは「クモの巣」のこと。「ログ」とは「記録」のこと。「丸太」もログ、年輪(記録)のついた丸太ん棒のことをログという。丸太の家は、ログハウス。ひとつひとつの情報の幹を丸太にたとえて「ログ」といい、ログに入ることを「ログイン」もしくは「ログオン」という。逆は、「ログアウト」「ログオフ」という。「モバイル」(この場合携帯電話)で管理できる「ブログ」を「モバイル ブログ」・・略して「モブログ」といい、「ブログ」するひとのことを「ブロガー」と呼ぶ。
ためになったひといますかねー(^。^)役に立つブログ目指してまっす!(^_^)v(今思いついた(^^♪))
「ブログ」を始めるのに一円もかかりません。5分で開始できます。興味のあるひとは、連絡してください。簡単な方法を伝授します。あっという間にあなた「ブロガー」です。パソコンなくても携帯電話で設定できます。みなさん!ブログは特殊技術ではありません。但しちょっとだけ「暇」はいります。一日の生活の中で。うーん、おいらはずっと「暇」だあ~(~_~)
さまざまな副作用がある。最も辛いと思ったのは「便秘」だ。きちんと食べないとキチンとは出てこない。キチンと食べてないから4日続くととてもつらい5日目・・・とにかく辛い(~_~;)泣きたくなるぐらいに。下剤も浣腸もさほど効果が無い。あーーやだ。(ーー;)
次に辛いのは「かゆみ」だ。これがまたつらい。がまんのしようがない。「痛み」はある意味
気の紛らわせ方がある。「かゆみ」は無いのだ。しっしんが出て真っ赤になってかいてもかいても治まらない。氷枕で冷やすとやや紛れる。この時期に氷枕は、冷たいよー(+o+)つらい!!
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なんか、とっても癒されそうな。
中にぐにゅーとした液体が入っている。
みなさん、ありがとうございます。m(__)m
(ーー;) (>_<)
そーなんです。本日は、私の誕生日なのです。47歳になります。病院で向かえることになりました。正月と似たような感覚なのです。無事に生きてこの日を迎えられたという感じです。もちろん誕生日プレゼントは一切拒みません!!全て受け入れます。
退院後KeepもOK!退院後指定していただければ取りに伺います!!(^^♪
まあ、いずれにしても来年は、ここで迎えたくはないものです。(~o~)
誕生日年齢以外では、血液型A、山羊座のねずみ年、四緑木星です。
できたら、私のブログへのカキコだけではなく、実体を送ってください。(^o^)/私はみなさんのお祝いの言葉の次に「実体」「実物」が大好きです( ̄▽ ̄)ノ_彡☆
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kenkokaido/index.html HPの運営どーしようかなあ(~_~;)
回想録 抗がん剤投与開始
そのうちに「抗がん剤」の投与が開始された。
「まな板」の上に乗った以上はつべこべ言わずに医師の指示に従った。私の病気の病名は「マントル細胞悪性リンパ腫」という。昨年アメリカで効果の見られた手順を用いると医師から言われた。
数十にも及ぶ抗がん剤の中から私に適したものをいくつかのパート(クール)
に分けて投与していくのである。長い道のりだ。
当然、副作用がある。髪の毛が抜けるというのはその代表格である。この場合は痛みを伴わないのでまあ、がまんできる。古いテレビドラマにある悲壮感はあまりない。覚悟しているから。受け入れる心の準備はできていた。むしろ自覚症状のある副作用の方が、その後私を苦しめるのである。
管理人HP http://www1.neweb.ne.jp/wb/kenkokaido/index.html ←よろしく(^.^)
回想録 を交えながら・・・
入院、治療、休職・・・まずは、「先立つもの」である。とても気になるのは。
高い治療費に加え入るものも入らずを考えると生活できるのだろうかという不安がまず最初に頭をよぎる。
貯蓄や生命保険、傷病手当などを計算する。子供の給食代袋にお金を入れなければならないことを考える。
ここで少し実際の費用について考えてみる。
ひと月当たりに病院が請求する医療費の総額は、200万円を超える。
社会保険の場合はその30%が個人の責任となる。約60万円。実際にはそれを超える場合もある。
--- 高額療養費 とは(社会保険庁HPより抜粋) ---
重い病気などで病院等に長期入院したり、治療が長引く場合には、医療費の自己負担額が高額となります。
そのため家計の負担を軽減できるように、一定の金額(自己負担限度額)を超えた部分が払い戻される高額療養費制度があります。
ただし、保険外併用療養費の差額部分や入院時食事療養費、入院時生活療養費は支給対象にはなりません。
http://www.sia.go.jp/seido/iryo/kyufu/kyufu06.htm
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一番多いパターンとしては、80,100円+(医療費-267,000円)×1% だろう。上の場合をシュミレーションすると。
80,100円+(600,000-267,000円)×0.01=83,430 に食費と個室代(例) となる。
食費は病院によるがひと月にだいたい20,000円から25,000円ぐらいだろう。
個室は、部屋にもよるが平均月に200,000円から300,000円ぐらいだろうか。個室代は、別としてだいたい月に110,000円ぐらいとなる。
問題は、高額療養費は、3ケ月後に返ってくるのでそれまでのつなぎをどうするかが課題になる。
任意の生命保険に入っていなければ、速やかに手続きをして貸付制度と併用して手続きを済ませないと病院に支払うことができない。
支払えないからといって追い出す病院ないだろうが、片身の狭い思いをする。手順を要約すると・・
①勤め先に「高額療養費用貸付申込」の書類をすぐもらう。
②併せて「傷病手当」用の書類ももらう。
③任意の生命保険会社にすぐに連絡する。一時金などのもらえるものをとりあえずもらう。
④病院から請求書が出たら①の書類をすぐに社会保険へ提出
⑤②の書類の裏面にある診断書を医師に依頼して記入してもらう。この場合5000円はかかる。
⑥⑤の書類が戻ってきたらすぐに提出する。
⑦受けられる高額療養日貸付額は、請求額の80%が一般的なのでその額が自分の口座に入金されたら病院へ支払う。
⑧⑤の書類は、それまでの給与(標準所得という)の60%が社会保険から手当として支払われるので給与の代わりに生活費に使用する。
ここで強いのは、「がん保険」に入っているかどうかだ。
一日のもらえる保険料よりも何日間支払ってもらえるのかによって強い生命保険かどうかが決まる。
一日が高額でも短期であれば意味がない。告知直後に一時金として支払ってもらえるタイプもありがたいシステムであろう。
40歳でひと月に4000円程度の掛け金で入れるがん保険に入っているだけでぜんぜん違う。とてもありがたいものになるだろう。
がん保険と終身保険は切り離して掛けておくことを薦める。
長い療養生活の医療費と生活費を考えると死んでからもらえる保険では意味が無いのである。
以上については、賛否両論あるかもしれないので何かありましたらコメントください。
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余談だが・・抜けた髪の毛に「ベルジュバンス」というものがとてもよいと噂を聞いた。特許成分「ポリリン酸」も気になる。「インディアン伝承シャンプー」も気になる~~(ーー;)
みなさんからの投稿写真の掲載始めました。とりあえず一枚o(^o^)o
できましたら、「場所」「日時」「目的」「気分」「感想」などを添えていただけましたら嬉しいなあ( ̄▽ ̄)ノ_彡よろしくお願いします。m(__)m
実名は、避けますし文章は場合によっては編集させていただくことがあります。予めご了承ください。どしどしお寄せください。公表できるものですよ(^。^)
殺風景である。確かに清潔・快適ではある。
それにしても殺風景だ。誰もいないし。
ゴミ、ほこりはまずない。完璧な状態。
それは評価できるとしても、もう少しヒューマニズムがあってもいいのではないかとついつい思ってしまう。
ここに居る人が、人間性がないというのではない。あくまでも、状態のあり方とデザインの問題である。
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篠栗街道 http://www1.neweb.ne.jp/wb/kenkokaido/myhome.html
テーマのはっきりとしないホームページを運営しています。↑(;一_一)
いつかは、実になるんですv(=∩_∩=)
巷で人気のゲーム機を買った。パソコン用外付けハードディスクを買った。
ネットでマグネットバイクを買った。SKYPEの為のWebカメラ買った。
パサコン パソコンでテレビ観るためUSBTVキャプチャーをひとに頼んで買った。
お金がかかることばかりだあ。
悪性リンパ腫のひとは、元気な人が多い!!
要するに暇なんです。( ̄▽ ̄)ノ_彡☆
←Webカメラ 娘とのテレビ電話用・・のはずだった・
HP http://www1.neweb.ne.jp/wb/kenkokaido/myhome.html
↑ 是非、覗いてみてください。 ↑ 篠栗街道 管理人
2006/9/29 まだ告知翌日です。(~_~;)病名の告知を受けてまだ間がない。
朝はやく目が覚めた。夢だったのかもしれないと一瞬思った。・・だったらいいのにと。 家族から朝のメールが届いた。がんばろうという内容だった。やはり夢ではなかった。
外は、寒そうだったので少し着込んで病院の玄関を少し出た。
入院の常連の人たちが数人既にタバコを吸っていた。あいさつをして日課になった鳥へのエサまきを始めた。それまでように小鳥たちを眺められなかった。
告知までの数週間、小鳥にエサを与えるのが日課になっていた。いつまで彼らにエサを与えるのだろうと思った。
常連さんたちとの会話も弾まない。暗い顔は見られたくはなかったけど、自然にため息が出てくる。刹那的な態度は、周りを不愉快にするだろう。避けたかった。刹那的なのは。
空腹なのに気づいた。食欲が今はある。たくさん食べたいと思った。家内が言う「出されたものは全部食べなさい、それはあなたの体を作るものだ」と。嫌いなものは食べたくない。今でも。努力はしてみようと思うけれど。
ここから治療に入るまでの間は、心理的になんら変化のないものだった。成長しないというか、変化がないというか、どうしたらいいのかわからないまま時間が過ぎていった。
これからが、本番だ。まな板の上に乗るのだ。えーい、乗ったれい!!
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← 暇なので「篠栗街道日記 ブログ」専用バナーを作ってみました。
お詫び/コメント設定にミスがありましたのでUPし直しました。ごめんなさい。
←すぐに持ち込んだパソコン。最近の大学病院はすばらしい。携帯電話にインターネット、メールまで何でもOK!医師に基地化していると言われた。ベッドの上のテーブルの上( ̄▽ ̄)ノ_彡☆
一部の病院では院内LANを使わせてくれるもっとすばらしいところもあるらしい。残念ながらここは違った。おそらくセキュアではないのだろうしレベルが低いのか予算がないのか気が回らないのか・・
それにしても、パソコンがあるとテレビ、DVD、ネット、メールとにかく暇つぶしに最高!!
では、そろそろ前日の続き・・・
回想録 2006-9-末
会社は、管理職を辞任するしかないだろう。迷惑をかけられない。かけたくない。
気のせいか胸が痛い。さっき鎮痛薬を飲んだ。昼間の脊髄細胞摘出のための胸の穴が痛いのだと思うけど。
タバコと酒をやめなければならなくなったらどうしようと思った。やめるくらいなら死んだ
ほうがましだとも思う。身勝手な考えなのだろう。みんなそう言うだろう。きっと。
家族を思うと生活態度を変えないといけないのだろう。
できるのだろうか。悲壮感がない。まったくない。他人事に感じる。信じられない。実感がない。でも、そして、いつ死ぬんだろうかと思った。
それまでに好きなことをやろうとも思う。好き勝手にはできないだろうが。
人間として生きる事に対する実感を数多く味わえるように生きなければとまるでドラマのように思う。しかし、それも「頭」で思うだけで実感がない。一瞬、涙が出そうになったが、すぐに治まった。悲しむ前にやることがある。もともと追い込まれないとやらいないタイプだった。やり残した宿題を慌ててやるような。娘がよく似ている。可愛そうに。俺に似た。
顔に出さずに人に隠しとおせるのだろうか。自信がない。無理に隠すと別のところで歪みがでるような気がする。怖い。科学的な治療が必要だと医師は言う。具体的なことは今からだ。受け入れるしかない。
さて、やり残した「宿題」は何だー。ひとつずつ箇条書きにしていこう。時間が無い。きっと。残された時間がそうは無いはずだ。
そして、日記を始めた・・
(この回想録は、告知直後に記した日記からの引用である。)
ホームページ http://www1.neweb.ne.jp/wb/kenkokaido/myhome.html
暇なら覗いてあげてください。古いけど(~_~;)
回想録の続きに行く前に。「ハク」さん、「ヨコタン」さん、「おさやん」さんコメントありがとうございます。m(__)m
では、回想録・・2006-9-28
良いモルモットにされているという被害者意識があった。大学病院だから。
でも違った。内科の診断を受け、次の対策を聞き治療に入るしかない。確かにそうだ。
まるで他人事のように医師の言葉が聞こえた。実感がない。想定外だったから。
返すことばがみつからない。何を尋ねるべきかもわからない。
しばらくしていろいろと尋ねた。これからのこと。原因や心構えなど。
でもすぐに意味が無いと感じた。その時は。
すぐに日記に記そうと考えた。意識が薄くなる前に。今は、まだはっきりしている。
食欲も働く意欲もまだある。
医者に原因を尋ねた。はっきりとはわからないとのこと。そりゃそうだろうと思った。
自覚症状としては、倦怠感があるそうだ。
会社に何と言おうと考えた。娘にはどーしようとも。親父には言うべきだと感じた。
家内と親父と俺だけにしておこうと考えた。娘は、来年受験だ。大切な次期に俺のことで
集中力を無くさないようにと考えた。
親父には、今後の支援を期待した。
友人知人は、必要以上の不安や気配りを想像すると言わないほうがよいと考えた。
長崎の親戚や家内の親姉妹にも言わないほうがよいと考えた。
保険の心配をしている。やはり先立つものが必要になると考えた。
家を売らないといけないのかという不安を感じた。
せめて家族が暮らす場所だけでも残さないと。
← 入院生活はとても退屈。僕のような病気の患者さんはけっこう元気だから「暇」を持て余す。そんなときは、「頭の体操」だあ。
某ゲーム機 説明書英語版ならドンキホーテで手に入る。もちろん本体日本語対応なので安心して。どうせ説明書なんて誰も読まないでしょ?
篠栗街道 の HPです。
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kenkokaido/myhome.html
覗く勇気のある人は、どうぞ覚悟の上覗いて下さい。なぜなら退屈なHPだから(~_~;)
←首を振って癒してくれる。
某大学新館皮膚科病棟面談室にて
主治医より「悪性リンパ腫」の告知を受けた。白血病と同じ種類の血液の病気らしい。
皮膚科ではなく血液内科への転送。体のあちこちに腫瘍があるとのこと。
レントゲン、CTスキャンと右の股関節付近のリンパ節から切除した細胞、左足ふくろはぎから切除した細胞を検査した結果の所見だ。当初「木村病」との予想に反しての所見。
夫婦ふたりで告知を受けた。体が凍った。言葉がなかった。
心の準備がまったくできていなかった。確かに入院生活中に想像したこともある。
悪い予感である。的中した。最悪の告知。しかし、すぐに開き直った。
ここまでくるのに50日以上を通やした。長すぎる検査だった。まだ続く。
次はPETの検査だそうだ。体中の悪い細胞の状態を検査することになる。
えーい、こうなったら「来るなら来いっ!!」ってな感じ(ーー゛)
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kenkokaido/myhome.html ←暇なら見てください。
時間というかタイミングというか、きっかけでしょう。
ホームページを作ったものの更新にはほとほと手を焼きました。
更新しないと誰も覗いてくれない。
さて、篠栗街道の管理人がとんでもない病に侵されてしまいました。
告知から日々の生活とまったく関係のない日々の出来事を赤裸々
につづるつもりです。HPの更新よりは楽かもですねー。
いつまで続くでしょうか・・・( ̄▽ ̄)ノ_彡☆
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